Musica Argentina Brasileira All Frontiers


by sh2o

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Egberto Gismonti来日!

EGBERTO GISMOTI - SOLO CONCERT -

まさに夢の実現…すごい嬉しい!
彼の音楽と出会わなければ、いろいろな音楽を求め、そして出会うことはなかっただろう。

すべてを投げ出してでも行きます!!!
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by sh2o | 2007-05-29 12:12 | Brasileira

倉地久美夫 ライブ&祭

読売新聞九州版 「表現者の現場」(2006年6月5日)
2006年5月13日に行われたライブ内容はもとより、倉地久美夫のプロフィールについて詳しく知ることができる記事内容で、とても参考になった。記事最後の倉地の言葉「異常なものを~」には、目が覚まされる思いがした。倉地久美夫の世界を本人によって明快に言い表した言葉であり、また自分が何か書く上において常に覚えておきたい言葉ともなった。


Baku's Dream
大分から「こころとからだに良い音楽」を世界へ向けて発信しているかとうけんごさんのブログ。 2007年4月29日に行われた『倉地久美夫祭』!の概要を知ることができます!
あ~なんて素晴らしい祭!そのころ倉地久美夫のことを知っていたら絶対駆けつけたのにな~残念…けんごさん、是非また企画してください!
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by sh2o | 2007-05-17 11:39 | 倉地久美夫
a0023718_17415350.jpg倉地久美夫の1999年のアルバム。バンド演奏ではなく倉地一人による多重録音作品。これまで多重録音によるカセットテープ作品がで多数残してきたようだが、倉地久美夫の世界というものがここまで色彩豊かなジオラマのように完成されたものなのかと、正直驚いた。
外山明という「変態」ドラマーでなく倉地自身によるリズムの為か、音の触りが普通にかっこいいという大きな罠が待ち構えている。そのかっこよさは同じ九州出身である井上陽水をすぐに想起させるが、個人的にはなんとなくアルゼンチンROCKの帝王SpinettaFito Paezに似たものを感じた。とくにSpinettaとは、似通ったメロディーを「それを待ってました!」と感じさせる中毒禁断症状と、どこまで切っても本人でしかないという金太郎飴的な幻惑とに同じ臭いを覚える。それは三日はいたパンツの饐えた臭いではなく、薄汚れ破れたシャツを"伊達"と思わせる漢(おとこ)の臭いだ。
1曲目は「ファミリーワルツ」。これは"ワルツ"なのか?だとするなら、まるで階段でワルツを踊っているようだ。時折足を踏み外しては、さすりながら再び踊り直おし、いつしか倉地の裸足が階段状のキーボードの上で足踏みしているような想像。2曲目「観月祭」~3曲目「快楽マン」の流れは絶品。ここにSpinettaを思い起こさせる何かがある! 「観月祭」での「ここには何もないぞ」のフレーズはまさに倉地メロディーの代表だ。そういえば倉地初体験はこの曲だったんだっけ…。 「快楽マン」は是非ライブで聴いてみたい曲だ。サビの部分での蠢くリズムと囁くボーカルがとっても印象的。
ジャーマンロックな「富士さんの焚き火」にニヤリとした後、静寂と喧騒の合間の微妙な沈黙「朝6時」を通り過ぎ、「サランラップ」で気合充填。それで、「缶詰」にゆら~り空中浮遊の真似事をする。
「目隠しビーム」は"ラテン"なのか?と若干微妙。ちょっと薄味ホルモンかしらん。「エイ」「日陰まわり」となにやら不気味に落ち着いた終息を迎えるがそれはウソっぱち。
アルバムを聴き終えると、禁断症状を迎える前の不気味な凪が身の回りを包んでいる。それは倉地本人によるアルバムジャケットのイラストの光景にも似た空気。倉地久美夫の世界の登場人物の一人になってしまったことに気づいて笑うか、唖然と呟くか。どちらにしたって裸足か裸になって聴きなおしてみる事に変わりはない。
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by sh2o | 2007-05-16 19:31 | 倉地久美夫
a0023718_19124967.jpgゴールデンウィークに大阪で、短い時間ではあったが倉地久美夫のソロライブを見た身にあっては、このライブ盤『太陽のお正月』はその日の時間的な物足りなさを消化する続編を聴いている気分にさせてくれた。1995年の録音であるというすでに約12年もの歳月がわかっていてもなお、その感覚は変わらない。それはすでに当時から倉地久美夫の世界が確固としてあったことの証であるだろうし、何より倉地久美夫の世界をもっと欲している渇きの証でもある。

ソロでの演奏と、菊地成孔外山明とのトリオでの演奏を収録。菊地、外山との録音は『うわさのバッファロー』『I heard the ground sing』でも聴くことができ、三人の演奏の違い、呼吸を聴き比べるのも面白いだろうが、まずは倉地にどっぷり嵌りたい。

「二刀流」
「8ミリ監督」倉地のソロ演奏でどっぷり満足。まるでスクリーントーンを使わずにペンのみで背景を描いていくような緻密でいて時に空白も厭わない抽象的なギターワークに惚れ惚れする。それと対比するような朴訥としたMCにほわ~っと微笑をうかべてしまうのが、蕎麦屋で読む四コマ漫画週刊誌のような味わいで絶妙。それは彼の声、言葉の世界についても同じくいえることだ。まぁそれは詩のボクシングを実際に見た人ならすでに承知のことだろう。

倉地の詩の世界は、おそらく実生活の断片を記憶の襞の中で回想するが故の時間と空間の二重写しかまたは絞り模様。その世界は所謂私小説であっても、古井由吉のような針の穴から見る靄がかった景色のような居心地の悪さはない。やはり漫画やフィルムのような明快な景色が広がっているのが倉地の世界の特徴だろうか。彼の詩の世界の感じ方は人それぞれだろうが、目の前に広がる景色はほぼ一定ではないだろうか。

あ~倉地久美夫を「誰?なんだろう??」と思い、釘付けになったギターそして飲み込まれるように飛び出す彼の声を咀嚼した、いや咀嚼された瞬間を忘れない。それを思い起こさせてくれる素晴らしいライブ盤。
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by sh2o | 2007-05-15 18:59 | 倉地久美夫

David Torn "PREZENS"

a0023718_1242486.jpgあらら~David Torn(TornのHPってAndy Rinehartが作ってるの?)のアルバムがECMから…時は流れる世界も変わる心も揺れる、とはこのことなのか。Everyman Bandの録音以降よりのDavidECM=Eicherへの遺恨は溶け散ったのか。

それはともかく内容は相変わらずのTorn節全開。というよりこれしかない塊の連なり、行列。
DARK、Marty Fogel、Mick KarnTerry BozzioらとのCMPレーベルでの諸作(Polytownとか)。そしてSPLaTTeRCeLL。これらは、一貫してDavid Torn以外何者でもない世界だが、どうもアルバムによってまとまりに欠けるというか、彼の体調のなせる業なのかものすごい振幅。置いてきぼりをくらうことが多いという印象。いやTornの演奏のことを言っているわけではない。アルバムとしての完成度の話だ。
ソロ作以外で、Tornのリーダーアルバムで一枚スカっと聴き通せたのはこのPREZENSが始めてだ。実際Tornのアルバム、音楽を聴くのは久しぶりっていうこともあるけど。
まぁ確かに日ごろから交流のあるこれだけのメンバー(Tim Berne、Craig Taborn、Tom Rainey)で録音すれば、っていうことではるのだけれど、ここまでの世界が溢れちゃうとは思わなかった。なんていっていいのかTornの世界に不足していた緩急があるっていうのかな、ギクシャクしたサーキット走行ではなく、藤子不二雄の漫画『モジャ公』のアステロイドラリーの音楽だぜ!これは!!ってなんのこったか…。

いやはや。時は流れ、またTornと出会ったよ。渋谷Towerで見たTornの姿は今でも覚えている。またあの時みたいに、主役は僕じゃない、と恥ずかしげな笑顔を向けているのだろうか。今は自信を自身の心に落ち着けた鬼才のまなざしかな。PREZENS=禅以前宇宙?の導師。

しかし、Tornの写真、どこかTerje Rypdalみたいだな。。
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by sh2o | 2007-05-13 12:51
a0023718_12221312.jpg倉地久美夫 
『うわさのバッファロー』美音堂

倉地久美夫の1996年のアルバム『rumored buffalo』のリマスター盤。

倉地久美夫ソロライブ 『I heard the ground sing』 『うわさのバッファロー』と突進中。もう尋常じゃない嵌まり込みようは、久しぶりの熱狂と魔境の冒険王気分。待ちきれん!とばかりに届いたこのアルバム『うわさのバッファロー』。なのに一聴した後は、あまりピンとこなかった。徹夜明けで方向と性能が消化不良なチェンバーロックを聴いた時のような気まずい感触~と思っていたのだが…大間違いだった!

翌日深夜、ヘッドホンを取り出して大音量で聴きなおす。目が覚めた。この深い味わいは、まるで三日目のパンツのような匂い。三日目のパンツは臭い、確かに。でもその臭さは二度三度と近づけたくなる禁断一歩手前の生暖かい不思議関係。

面子は『I heard the ground sing』と同じ。倉地は唄とギター、菊地成孔がサックス、ドラムスには外山明。一番印象が違うのが独特の詩の内容・世界だが、それは時の流れそのときの気分によって当然のことだろう。倉地の歌い方が『I heard the ground sing』と違う。『I heard the ground sing』が非常に素直に歌っているように聴こえるのに対して、この『うわさのバッファロー』ではわざとくぐもった、口ごもったような歌い方。演歌以前の歌手の声のようにも聴こえる、ちょっと古ぼけた音源から聴こえて来るようなざわつきとざらつきのある音だ。
そのざわつきとざらつきが最初はしっくりこなかったのだろう。今はそれと同じ振幅で怯える、眠る、笑う、震える、肌こする。なんだ消化不良だったのは自分の臍下三寸だった。ちょっと控えめに後ろ方で歌っているだけなんだ。ちゃんと見つめてこっちを向かせないといけないんだね。OKです!

菊地外山も自由奔放。『I heard the ground sing』では倉地菊地のダブルリードギター!という感じで倉地のギターと菊地のサックスとのコンビネーションに惚れ惚れ。しかし本作では菊地は鳴かずに自由に呟いている印象。そう菊地のサックスは、倉地のギターではなく声に対して吹いているんだ。そこはやっぱり発売当初は倉知久美夫名義ではなく、倉地・菊地・外山の三人の連名アルバムだったからだろうか。外山もポケットの中で爆竹を鳴らして歩いているかのような演奏。あっち行ってはばら撒き、こっち行っては暴発する。

「しまうまタクシー」「うわさのバッファロー」は是非ライブで聴いてみたい曲だ。鬼火のような目玉に入ってくる熱い塊を感じる。とくに「うわさのバッファロー」でのノイズから漏れ聴こえる係員の説明は、怪しいラジオを聴いているようで出色。「鉄塔」菊地のサックスが印象的。鉄塔を囲む金網をゆすり叫んでいるような音だ。怒りを飲み込む嗚咽がふいに漏らす本音。う~んこれもライブで聴きたい!前置きなしで何気に演奏されたら涙流しそう。この曲が一番好きかな…

『I heard the ground sing』と比較してしまうと、試行錯誤中というかまだまだ過渡期なのかな?という印象を持ってしまうが、それは全く必要のない断面。真正面から差し込んでしまえばいい。そうすればこのアルバムは常に何かを語りかけてくれる一枚になる。

薄っぺらいが中身の濃い岩波文庫の短編小説集みたいな作品。
もちろん分類は「その他」ではなく、「倉地久美夫」以外にはありません。
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by sh2o | 2007-05-10 19:00 | 倉地久美夫
a0023718_15135716.jpg倉地久美夫 
『I heard the ground sing』 (美音堂

全く予期せぬ空間の扉が開く。でもそこは何処か居心地がいい。

あの日あの曲がり角に置き忘れた妄想。田舎の布団に置き去りにした夢。諧謔 、奇矯、屈折、気配、滑稽。でもそんな懐かしさだけではかび臭くてしょうがない。それは山中の不法投棄されたゴミを宝探し気分であさっているだけみたいなもの。
『I heard the ground sing』で聴くことのできる懐かしさは、記憶の襞に放り投げてあった妄想時計のゼンマイを巻き上げる。巻き上げられていくゼンマイはいつしかメビウスの輪になり、突然を予期していたかのように時を告げる。

「集え能古の島」での菊地成孔の燻るサックスと外山明のチリチリとしたシンバルが目覚ましの音のように、あの日見ていた世界にようやく着いたことを知らせる。 そう、その世界の音が今ここにあったんだ。それはすごく匂いのする音。
湿った布団から匂う、黴と体液の匂い。それはチェンバーロック、ガロ、サブカルチャーだったり。フォークロックだったり大人ぶって理解したブルーズだったり。 涙と鼻水で折れてしまいそうな自分を隠している匂い。それは自分の中で隠してしまいたい恥の部分だったり。
友人たちについた嘘、両親への裏切り、想い人への戸惑いと疑いだったり。
その頃は逃げ出したくてしょうがなかった。いや、いっそのことそこに埋もれてしまって何も感じたくなかった。そう、忘れていたのではなく、埋もれてしまって見えなくなっていただけ。
倉地のギターが傾いた脳みその土壁をボロボロと剥がしていく。
不可思議な詩、強靭な律動、吸い込む息が温かく通っていく声。
突込どころはたくさんあるが、それらを寄せ付けないくっきりとした倉地久美夫の音世界
ライブでも聴いた「30,000,000粒ダム」 。その中の歌詞「どれどれ見せてみそ」という言葉にそもそも導かれたのかもしれない。

倉地の声は大地によく響く。それが曲がり角の方向。
あの日、梅田シャングリラで、僕はようやく曲がり角を曲がった。
そして倉地久美夫の新作が七月にでるという。
曲がり角の先にある風景が今から楽しみだ。
それが、どのように見えるかはわからない。でもまずはそこに行ってみたい。
きっと台地の縁から眺める町の風が心地いいはず。
その時は自分に問う。今の気持ちを「見せてみそ」って。
でも何が釣れたのかはわからないな。未だ吊るされているのは自分だから。


久しぶりの更新。何も聴いていなかったわけではないが、妄想が浮かんでこなかった。
それが5/3@大阪の梅田シャングリラで見た見汐麻衣ふちがみとふなと
そしてこの倉地久美夫とそしてそして大好きなEttとのライブを見ることによって何かがが呼び覚まされたような気がする。
Ummmmmm!!!
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by sh2o | 2007-05-06 21:09 | 倉地久美夫